「食」「運動」「知的な活動」の三位一体
「私は78歳ですが、こうして医療や教育の現場に立てるのも健康な身体あってこそ」と、豪快に笑う医学博士の佐藤祐造先生は、糖尿病研究など幅広い医療活動を通じ、豊かで健康的な社会づくりを提唱している第一人者だ。
「現代人が心身ともに健康でいるために必要なこととは、『食』『運動』『知的な活動』が、バランスよく三位一体となった生活を送ること。この3つの要素は年齢に関係なく、若い方から高齢者まで切れ目なく大切にしていただきたいポイントです」
この3つの要素のうち、特に注意しなければいけないのが「食」である、と佐藤先生は続ける。
「現代人の『食』は、カロリーは十分過ぎるのに食物繊維が不足する傾向にあり、食事によって健康に悪影響を及ぼすことになりかねません。私が診ていた患者さんの中にも、アドバイスしていたにもかかわらずカロリー過多な食事を続け、残念ながら最終的に糖尿病を悪化させた方がいらっしゃいます。私は戦前の生まれですので本来は食べ物を“ほかる(捨てる)”ことには反対ですが、65歳迄の方には、『ご飯の半分は残す気持ちで』と、カロリー控え目な食習慣を身につけるようお話をしています」
食べ盛りながら食生活が乱れがちな学生さんたちへは、別の角度から「食」の啓蒙をしているという。
「例えば、カップ麺やチャーハンなどを単品で食べると、糖質や脂質過多の食事になってしまいます。食物繊維なども摂れる野菜などの副菜がついた定食型の食事を摂るよう勧め、老若男女問わない日本人の食物繊維不足の食事傾向を改善してもらえたら」と、佐藤先生は医師として、食と健康のあり方について危機感を込めて語る。
食物繊維が、健康への鍵に
食物繊維自体は栄養のあるものではないのに、なぜ「食」の中でも重視すべきなのか。佐藤先生が行った研究の中で、食物繊維と血糖値についての関係性を示す、興味深い結果が得られているという。
「糖尿病の患者さんや学生さんに精白米、ブドウ糖、大麦をそれぞれ同じ300キロカロリーずつ摂取してもらう研究でしたが、大麦を食べた場合には精白米やブドウ糖より血糖値の上昇が低く、また、大麦食を続ければ、血糖値平均の目安となるヘモグロビンA1cの値が下がり、血糖コントロールがよくなるという結果になりました。大麦は、ゴボウなどと比べてもダントツに食物繊維の多い食材です。つまり、食物繊維の多い食事を心掛ければ、最終的には糖尿病の予防・改善効果が期待できるのです」
そうした可能性を秘めた食物繊維を普段から積極的に摂取できていれば、私たちにはほかにも以下のような健康への近道が用意されている、と佐藤先生は説く。
- ● 便秘の解消
- ● 脂質やコレステロールの吸収を抑える
- ● 発がん物質の生成抑制を手助けする
- ● 満腹感を達成し、肥満症を予防・改善する
「一般的によく知られているのは便秘の解消ですね。そのほかにも食物繊維はコレステロールの吸収を抑えるなどと言われています。このコレステロールは動脈硬化性心臓血管障害の危険因子であり、食物繊維の摂取は心臓病予防に効果大です。さらには、食物繊維が豊富なキャベツなどの野菜をご飯や主菜を口にする前に摂取することで、満腹感の達成を促すことにも有効です。そうすることでカロリーが無理なく抑えられれば、メタボリックシンドロームや肥満症の改善・予防にもなりますから」
また、食物繊維の継続的な摂取により、発がん物質の生成抑制を手助けする効果にもつながるというのは驚きだ。
「食物繊維は、腸内細菌にとって一番のよいエサになります。食物繊維を多く含む野菜を食べることで、ビフィズス菌や乳酸菌といった良質な腸内細菌が増え、今注目の腸内細菌叢(さいきんそう)にも変化が生まれれば、大腸がんなどを引き起こす発がん物質の生成抑制にもつながるんですよ」
命の素である「食」を大切に
さらに、食物繊維を摂ることで得られる身近な健康効果を積み重ねれば、その先により長期的なメリットが生まれ社会にも大きく還元される、と佐藤先生は期待を寄せる。
「もし食物繊維を摂取し、食生活を改善することで健康的な人が社会に増えれば、通院や治療の必要がなくなり、長期的には医療費や介護に要する経費の節減効果も期待できるわけです」
その背景には、年々増え続ける日本の医療問題があるという。
「世界に冠たる日本の医療保険制度ですが、国民医療費は2014年に40兆円規模に達し、現在も増加傾向にあり、いまや国家予算を圧迫する勢いです。この現状を放置してはいけません」
急速な高齢化や、日本人に増え続ける糖尿病やがん、心臓病という病気の問題。これらを鑑みると、一人でも多くの人が健康な暮らしを送ることこそが国家経済の重しになっている医療費を抑え、社会貢献につながる時代が来たという。
「例えば糖尿病ですと三大合併症といわれる手足の神経障害、目が見えにくくなる網膜症や糖尿病性腎症が起きる可能性があります。そうした症状は一度出てしまうと、日常的に杖が必要になったり人工透析を受けたりと日常生活でいろいろと支障がでるうえ、さまざまな医療費がかかってしまう。それを未然に防げたら」
もちろん医療費問題だけでなく、日々患者さんと向き合う中でのQOL(Quality of Life、生活の質)を考えた場合にも、それらの合併症に苦しむ姿を佐藤先生は悔しい思いで見つめてきた。
「大腸がんの死亡者数は、さまざまながんの中で2位に上昇しています。大腸がんは、糖尿病と同じ生活習慣病です。やはり食生活の改善で病を防ぐことは緊急の課題だといえます」
胃がんは減少傾向なのに大腸がんが増えているという現実は、肉食中心で高カロリー、高脂質、低食物繊維となってしまった日本の食卓との関連性が問われる。こうした病気を「未病」のうちに防ぐためにも、「食」を見直し大切にすることが急務といえるのだ。
「健康な食事を続ければ、健康な人が社会に増える――つまり、食は人間の命の『素』です。運動は生活習慣病予防や老化防止に重要な役割を果たしています。しかし、例えば数日、1週間程度運動を忘れたとしても健康にすぐ重大な影響は出ませんが、同じ期間を食で不摂生したら身体はすぐ参ってしまいます。毎日3食のバランスのよい食事を継続して心掛けることは簡単なようで難しいかもしれませんが、とても大切なことなのです」
日本の食の知恵が、未来を支える
佐藤先生が今こうして日本の食の課題について声を大にして語らざるを得ないのは、現代の日本人が何世代にもわたり受け継いできた食の精神を、急速に失いつつある現状があるからでもある。
「親から子へと家庭で受け継ぐだけでなく、教育の現場でも食育として指導すべきだと思います。例えば大豆はそのものを食す以外に味噌になり、豆腐になり、そのしぼったカスはおからとしてフル活用されてきました。食材を丸ごとぜんぶ使う工夫を自然と日本人は続け、食物繊維を豊富に摂取しながら健康な肉体を作ってきた歴史があるんです」
健康の面にとどまらず今、世界は人口が増加傾向にあり食糧不足の危機が叫ばれてもいる。そうした時代にも、日本人が培ってきた食材を使い切る知恵と工夫の精神が、大きな意味を持つという。
「私の幼いころは戦時下という極限状態でもあり、芋ひとつでも茎まで食べるなど、現代よりもなおさら食材を大事に使い切り、お腹を満たす知恵と工夫を各家庭でこらしたものです。しかも、そうした茎や葉といった今ではあまり食べない場所にこそ食物繊維はたくさん含まれていますので、健康的な食事だともいえました」
今、そうした食材を使い切る精神を現代に当てはめることで、「バナナの皮や、リンゴやトウモロコシの芯など、日ごろ食べている食材の捨てる部分を幅広く活用して、食の可能性を広げ、食の好循環を生めないか」とも、佐藤先生は考える。
「捨てられる部分にこそ食物繊維や、ビタミン、ミネラルが多く含まれてもいるのも事実です。ただし、現代の家庭の食卓で、それを実践していただくのには限界があるとも思っています。その分、企業などが参入し、食材を使いきる動きを加速させる必要があるのではないでしょうか」
家庭だけでなく企業も含め食のサステナビリティを実現する社会は、とても理想的な社会の循環だとも、佐藤先生は考える。「これはきっと未来の『食』と社会のあり方への宿題になりそうですね」。
現代人の食の欧米化、食物繊維不足によって引き起こされるさまざまな健康問題。そして、懸念される将来の食糧危機。しかし、「食」を見直すことで、必ず新たに開ける未来があるという。
「少子超高齢化問題、ふくらむ医療費問題は、日本に限らず世界の先進国において共通の課題になっています。でも、それはある意味、社会が豊かで一番安定した状態だから生まれた課題でもあるのです。悲観するよりも前向きに課題に取り組み、よりよい明日を考えることが先決です。まずは医療費軽減のためにも老若男女問わず『食』を見直し、『未病』のうちに病から遠ざかる心掛けをはじめましょう。そうして少しずつでも食の改善、食材の可能性を追求することで、より健康的で豊かな未来を築いていきたいものです」
佐藤 祐造
名古屋大学大学院医学研究科(第三内科)修了。医学博士。名古屋大学名誉教授。愛知学院大学教授(心身科学部)を経て、平成28年愛知みずほ大学学長に就任。日本糖尿病学会などへ長く寄与し、運動療法研究・臨床の第一人者としての立場から今も研究、臨床、教育の現場で健康の重要性を語る。
取材日/2018年11月