「本物のイタリア」を感じるおいしさに、人生が変わった
和歌山市にあるイタリアレストラン「イ・ボローニャ」のシェフ・小林清一さん。彼の店では、日本では珍しいイタリア・ピエモンテの郷土料理を振る舞う。東京など県外から通う客も多い名店だ。
小林さんはピエモンテ料理の「おいしさ」に出会ったことで、人生が大きく変わった。
「イタリアのピエモンテ料理の老舗『Trattoria i Bologna』で、タィヤリンというパスタのトマトソースを食べた時、口に入れた瞬間、脳に伝わるようなおいしさに衝撃を受けました。あ、これがイタリア料理だ、と感じた。それが僕にとっての『おいしさ』の原点です」
小林さんは28歳でイタリアに渡り、ミシュランの星を持つレストランで2年間修行をしていた。自分の料理が間違っていなかったことも確かめられ、自信もついた。
さあ、帰国して自分の店でも持つか、というタイミングで、なんの気なしに帰国前に「ピエモンテの郷土料理でも見ておくか」と2、3ヶ月程度の修行先として「Trattoria i Bologna」を訪れた、そのときの偶然の出会いだったという。
「その料理の第一印象は『シンプル過ぎる』というものでした。当時は星付きの店の料理が最高だと思っていたので、もっと手を加えて、格好を付けるのが僕の料理だった。だけど、そうではなかった上に、本当においしかったんです。ピエモンテ料理に心を揺さぶられました」
小林さんはピエモンテ料理を修得するために帰国をキャンセル。その後「Trattoria i Bologna」で15年間を過ごすことになる。
「今考えると、それまではおいしい料理を作る方法を方程式で捉えていました。この食材をこうするからおいしい、という方程式を基準にしていたんです。でもその時初めて、形ではなく体で感じるおいしさに出会いました」
ピエモンテでの暮らしが、本物のおいしさを理解させてくれた
ピエモンテ料理の修行を始めた小林さんは、詳細なレシピがなく誰も作り方を教えてくれないことに困惑した。
「当時は、何かきちんとしたやり方があるんだと思っていました。ところが、何も特別なことをしていない。星付きの店で培ったテクニックを使っても、Trattoria i Bolognaのシェフたちが作る飛び抜けたうまさには全く届かなかった。どうしてだろうとすごく考えました」
調理方法に秘密があるのかと考えた小林さんが「なぜそのやり方をするのか?」と質問しても、シェフたちは「昔からそうやっているからだよ」と答えるのだ。
「昔からやってることを自然にやっているだけなんです。そして彼らは“おいしい味”を体で知っているから再現できるんですね。本当に困りました。真似ることで修得できないかと、彼らの隣で何度も作り続けました」
しかも、小林さんが習得していた星付きレストランの料理は、店のコック達には認められなかった。「味がしない、おいしくない」と言うのだ。
「最初は、この人たちは味が分からないんじゃないかと思ってショックを受けました。けれど彼らの料理は、僕が作ったものとはおいしさの度合いが全然違う。だけど、それがなぜなのか分からなかったんです」
しかし5年経ったある日、突然変化が訪れる。
「ある日、いつもと同じように作っていて『これおいしそうだな』と思っていたら、彼らの味が表現できるようになっていたんです。一度できたら、今までなぜできなかったのかというくらい簡単に、おいしい料理を作れるようになりました」
5年間で、小林さんにどのような変化があったのか。
「本当に不思議なんですが、これといったものはない。何千回も作っている間に自分の味覚が変わっていき、バールに行って地元のお爺ちゃんとお話ししたりするうちに、土地の雰囲気も分かってきた。そういう全てのことに馴染んできた頃でした。
考えてみると、いわゆる料理の作り方ではないような、作業の裏側においしさの秘密があったように思うんです。たとえば、食材を厨房に出したままにするとか。それは、以前の僕にはただ放ったらかしているように見えていました。野菜を皮がついたまま強火でガンガン炒めたりとかもそう。ただの乱暴な行いに見えていた。だけど、放ったらかしにされている時間にも、乱暴に思えることにも全て意味があったんです。5年という歳月を掛けて、やっとそれが見えるようになりました」
ピエモンテ料理を次世代に残す使命がある
ピエモンテ料理は、今も地元の人々に愛され続けている。
「これまでお話した内容で気づいたことは、ずっとその土地に残り続けている料理が、本物のおいしさを持っているということです」
ピエモンテでは、郷土料理が地元愛と強く結び付き、受け継がれている。
「ピエモンテ料理が残っているのは、地元で採れるものでどうやったら美味しくできるか、長年試行錯誤した結果なんです。だから毎日食べてもおいしいし全く飽きません」
小林さんは、本物のおいしさを持ったピエモンテ料理を次世代に残していきたいという使命感を持っている。しかし、日本で「ピエモンテ料理だけを出す」レストランを開業することは至難の業だった。
1人のシェフが自己資金でレストランを立ち上げることはなかなか難しく、小林さんの場合も、資金を提供してくれるオーナーを見つける必要があった。だが、オーナー候補者たちは「ピエモンテ料理だけでなく、色々なメニューを出さないと客は来ない」と考える人が多かった。
幸い理解あるオーナーに出会い「イ・ボローニャ」を開店することができたが、郷土料理を背負ってレストランを続けるには、様々なハードルがある。
「今の料理は、伝統を継承していく料理と、まったく新しい発想から生まれる料理があります。日本だけでなく、イタリアでも、革新的な料理は高く評価され、伝統的な料理を出す店は評価されづらい傾向にあります」
小林さんは、郷土料理に挑戦したい気持ちを持つ若いコック達を勇気づけられる存在でありたいという。
「イタリアに敬意を払いながら、ブレのないピエモンテ料理を作っていきたいですね。そして僕の店に来た若い人達に、こういうやり方もあるんだ、よし自分もやってみようと思ってもらえれば嬉しいです。
トスカーナ料理、リグーリア料理、ナポリ料理など、イタリアの様々な地方の料理が日本で食べられるようになれば素晴らしい。僕は、今もイタリアにあり続けるピエモンテ料理、つまり本物のおいしさを持った料理を、継承し続けようと思います」
小林 清一
1966年、愛知県生まれ。1986年から静岡のイタリアンレストラン「ルチア」で9年間修行。1995年、イタリアに留学し、外国人のための料理学校「I.C.I.F」でイタリア料理を学ぶ。卒業後、トリノのミシュラン一ツ星レストラン「Balbo」で2年間修業する。1997年、イタリア・アスティの名店「Trattoria i Bologna」で15年間の修行、うち10年はシェフを務める。2013年に帰国後、和歌山市内「イ・ボローニャ」にてシェフを務める。
取材日/2019年6月