豊かになりすぎてしまった現代社会
順天堂大学医学部にて教授を務め、自律神経研究の第一人者として知られる小林弘幸さん。現代において「ものが豊富にありすぎることが、人の食生活にとって一番の問題だ」と危機感を抱く。
「人間はものが豊富にあると、どうしても無駄な使い方をすることが増える。現代はそういった状況なので、食材も無駄に扱われてしまいます。本質は何かというと、贅沢になりすぎただけなんです。今は資源が豊富ですが、食物や水は、もしかしたらあっという間に枯渇する可能性だってありますよね」
小林さんが問題だと指摘するのは、人類が進化する中で食生活が変化し、食材を無駄にするようになったことだ。
「かつての狩猟民族は仲間で協力して狩りを行い、獲れた食料は分け合って食べていました。獲物は獲れる日もあれば獲れない日もありましたから、獲れたときは骨や目まで余すことなく食べていたと考えられています。限られた食料を、無駄なく消費していたんです。
人類が農耕民族になると、仲間と一緒に食料を調達することが少なくなりました。その上で、畑でつくったものをいつでも食べられるようになる。これによって、食材の無駄が生まれ始めるんです」
食材を無駄なく使う努力や工夫。それが現代ではさらに希薄になっている。
「人は、食料が余るほど豊富にあれば、おいしい部分だけを取って調理します。例えばスイカは、真ん中の甘い部分だけを食べて、外側は一切食べないかもしれません。食材の端のほうまで使おうという発想に、至らないんです」
合わせて小林さんが指摘するのは、人類の進歩によって食生活は急激に変化しているが、人の遺伝子はほとんど変化していない事実だ。
人間自体は変わらないのに食生活が大きく変化したことで、現代病を生み出すことになった。
「狩りをしていた時代、うつ病になる人はいませんでした。狩猟民族の時代には起こり得なかった孤立化や貧富の差がその原因です。ヨーロッパで塩が発見されると、高血圧や糖尿病になる人が出てきました。
人類が豊かさを求める中で、食べ物も溢れすぎてしまった。だから今、食べ物を含め『ものを大事にする』という原点に戻る時期にきているんだと思います」
無駄なく食材を使うという「意識」を持つ
人類の生活スタイルの変化に伴って、同時に食生活も変わってきた。そんな中で小林さんが提案するのは「まず意識を持つこと」だ。
「なんでも人工的に作ることのできる時代だからこそ、意識して食に向き合わなくてはいけないと思います。意識をしないと、見えるものも見えてこない。例えば、はじめて入った部屋で『どこに時計があるか』と聞かれたら、すぐには答えられないですよね。
特に意識していないから、目立つ時計があったとしても、気付かない。ですが、人間の意識とは不思議なもので、一回でもこうして質問されると、次に部屋に入ったときにどこに時計があるのか探すようになりますよ」
では、どんなことを「意識」すべきなのか。
「『食材には無駄なところは何もない』という意識を持つこと。食材も人間の身体も、一緒なんです。足の小指だって意味があって機能している。同じように、魚でも捨ててしまいがちな骨にも、私たちにとって必要なカルシウムなどの栄養が含まれています。『では、骨まで余さず食べるにはどうすればいいだろう』と考えることが大切なんです」
食材に無駄はないと意識した上で、同時に大切なのが「家族や仲間と共に食事をすること」だと小林さんは語る。
「みんなで食事を摂ると、オキシトシンという成分が脳から分泌されるんです。このオキシトシンは愛情ホルモンと呼ばれていて、人に多幸感や優しさをもたらす働きがあるんですよ。
一人で食事を摂ることが日常化すると、オキシトシンが不足します。現代はいじめや体罰、DVなどの暴力を伴う問題が多発していますね。これは、オキシトシンが足りないこともひとつの要因として考えることもできる。
家族や仲間と食事を摂ることは、健康につながるんですよ」
みんなで食事を摂ることがよいということも、古代に学ぶ面があるという。
「狩猟民族の時代は、多人数で狩りをしていました。だから食事も、みんなでしていたんです。みんなで食べるから、あるものを分け合うわけですよね。だから、みんな腹七分目。満腹にならない分、体にとっても健康的です」
合宿と留学で気付いた野菜のおいしさ
狩猟民族に習い、みんなで食べることを勧める小林さん。そういった食に対しての考え方をつくったのは、学生時代の経験が大きいそうだ。
「高校生の頃までは、野菜は食べませんでした。どちらかというと、嫌いでしたね。野菜が好きになったのはラグビー部の合宿がきっかけです。合宿で出された料理の中に、普段は食べないピーマンが入っていました。
本当は嫌いだったけど、それしか無かったから食べざるを得なかった。そしたら、ピーマンってこんなに美味しいんだ、と気付いたんです」
その後、留学したロンドンでは、さらに食の選択肢が少ない状況に置かれたという。
「ロンドンでは病院の寮で生活していました。食堂で食事を摂っていたのですが、正直まったく口には合いませんでしたね。ひとつだけ、なんとか食べられるものがあったから、それだけは端から端まで残さず食べた」
部活動の合宿と留学、ふたつの経験によって小林さんが気付いたのは、選択肢が豊富であればあるほど人は選り好みしてしまうということだ。それは、これまでに話してもらった現代の食の課題にも通じる。
「人間は飢えた状態になればなんでも食べようと努力します。しかし、今は贅沢になりすぎた。資源の豊富な状態がこれからも続くわけではないかもしれない。だからこそ今、ものを大事にしていた人類の原点に戻るときなのではないでしょうか」
小林 弘幸
1987年に順天堂大学医学部卒業。1992年に同大学の大学院医学研究科博士課程を修了。その後アイルランド国立病院外科を経て、順天堂大学小児外科講師・助教授を歴任。現在は順天堂大学医学部教授、日本体育協会公認スポーツドクターを務める。著書に「医者が考案した『長生きみそ汁』」「自律神経を整える『あきらめる』健康法」など
取材日/2019年3月