「環境負荷の少ない食品」という言葉の持つ意味は、国々の状況によって変わる
21世紀の地球環境問題において、重要なキーワードのひとつとされているのが「水」だ。水資源を守ることは、飲料水の枯渇を防ぐだけでなく、農作物の栽培、牧畜などを介して、私たちの食、そして生命を守ることにつながっている。
水資源研究の第一人者である東京大学教授の沖大幹さんは、「まず、地球環境に負担の少ない食とは何かを知らなくてはならない」と語る。
「私たちの食事は自然の恵みに大きく依存しています。農作物や食肉などの大量の収奪は、環境に対して大きな負担をかけています」
では、環境に負担の少ない食とは何なのだろうか?
「それは、土地や水、エネルギーといった資源消費量の少ない食べ物です。例えば牛肉は、飼育に必要な牧草地や、飼料を栽培するための土地や水などが大量に必要です。得られるカロリーあたりで考えると、豚や鳥に比べると生育期間も長く、環境負荷が高い食材です」
ただ、事はそう単純ではないようだ。
「“環境負荷の少ないこと”が何を指すのかは、国や地域によって価値観が異なります。食料事情がよくない国にとっては、まず人が生きられるだけの食料の確保が必須です」
だから、人命優先、環境負荷低減はあと、という場合もある。
「反対に、日本のような国であれば、食べ物が足りないから食べられない、という状況はほとんどありません」
加えて、環境負荷の削減ばかりを追求していくと「人間がいないほうがいい」という極論にも達してしまいかねない。
「大切なのは、なぜ環境負荷を減らしたいのか?ということ。ひとつの答えは、次世代の人たちも今の我々と同様に、あるいはもっと幸せに生きるためですよね。そのために、持続可能な食の実現を目指すべきなのではないでしょうか」
「日本はこれ以上人口が増えないので、残っている自然環境を破壊せず、今ある国内外の農地をうまく利用して食料を確保できると思います。ただ、これから人口の増える発展途上国で農業生産性をいかにあげていくのかが、今後の課題となっていくでしょう」
人間の幸せは、豊かな食の選択肢にある
次世代が幸せに生きられるようにすること、持続可能性を追うこと。そのためには、食料の生産工程に関する知識を身に付け、できるだけ環境負荷が少ない食材を選ぶことも大切になってくる。しかし、日常生活でそれを実践できる人はどれくらいいるだろう?
「実際には難しいですよね。みんな明日の仕事とか、恋人や家族との関係とか、日々の悩みで忙しい。食品を買う際に、毎回『環境認証とっているかな?』なんてチェックしていられないのが現実です」
とするならば、ここで重要になるのがメーカーやスーパーといった「供給側」の役割だ。
「食品メーカーや小売店が環境に配慮した食料を作って、陳列して、そのうえで『うちの食品は環境に配慮しています』と保証するしかないと私は思っています。あのメーカーは環境に配慮して商品を作っている、あのお店に並んでいる食品なら安心、という期待と信頼を作れば、消費者も選べるようになる。そうした社会の構築が大切なのではないでしょうか」
同時に、持続可能な人間の幸せのためには、食の選択肢の多様性が失われてはいけない、と沖さんは言う。
「環境への配慮を徹底するあまりに、選択肢が狭まってしまうと不自由ですよね。選択の自由っていわば豊かさそのものだし、幸福の源泉ではないでしょうか。特に食文化には、多様性が大切だと思いませんか? 日本人は日常的に和洋中さまざまなものを食べています。だからといって多様性のために環境負荷が高くてもいいというわけではなくて、『食べたいと思ったらいろいろな食品が食べられる、実際にはめったに食べないけどね』という状況の実現が望ましいと思いますね」
例えば、食文化ともなっている牛肉食の環境負荷が大きいからといって、食べる機会をゼロにするのではなく、負荷とのバランスを考える議論が必要になるはずだ。 「食というのは伝統が受け継がれ、生かされていくものです。2100年には、今よりもっと色々な食べ方や食べ物がある。環境負荷低減を命題にして選択肢を狭めていくよりも、こんな風に考えたほうが、ワクワクしますよね」
みんなが環境に配慮するプライドを持つ社会へ
消費者の食材選びの基準を環境保全にシフトしていくためには、何が必要なのだろうか?
危機感を煽るだけでは、多くの場合うまくいかない。
「人は誰もが“良い人、かっこいい人だと思われたい”という気持ちを持っています。だから、その気持ちを刺激してはどうでしょうか。危機感の発信ではなく『こういう生き方のほうがいいんじゃないですか?』といったメッセージで、人々の“悪い人だと思われたくない”というプライドに訴えかける手段が有効ではないかと思います」
環境に配慮する「より良い生き方」。それが特別なことではなく、「当たり前」にしていくことが重要だ。
「慣れること、当たり前に感じるようになることって、人間にとってとても重要です。30代以下の世代だと、ゴミを分別せず捨てることに違和感を持つ人が多いはず。これは別に、分別をするのに我慢をしているというわけではありませんよね。この感覚を、食に関しても持てるようになればいいんです」
ただ、「より良い生き方」を、個人の意識だけでつくっていくことは難しい。そこで、食を扱う企業の存在がポイントになる。
「私自身、水が専門なのでそれ以外の知識は多くありません。だから、食の専門家集団である企業が助言を提供してくれると、とてもありがたい。食材について、押し付けがましくなくメリットとデメリットを教えてもらえば、消費者は自分で判断しながら食材を選べます」
環境への配慮という視点で「カッコいい自分」でいたい。そのプライドを持つことが、環境に配慮することが「当たり前」と考える土壌を作っていく。
「あなたが今食べているものは環境的に持続可能ですか?と、企業が消費者に問い、普段の食生活を消費者が振り返る機会を作るのが大事なのではないでしょうか。それが企業のブランド力の向上にも繋がります。日本の生活者が食材を選ぶ基準が変われば、購買力によって世界の基準を変える大きな力になっていくと思います」
沖 大幹
東京大学工学部卒業、工学博士。気象予報士。東京大学生産技術研究所助教授、総合地球環境学研究所助教授などを経て、2006年東京大学教授。2016年10月より国際連合大学上級副学長、国際連合事務次長補も務める。著書に『水の未来 ─ グローバルリスクと日本 』(岩波新書)、『水危機 ほんとうの話』(新潮選書)など。
取材日/2019年6月