もはや料理人だけの手には負えない地球の食問題
イタリア料理界の革命児、ガストロノミーの頂点と称されるシェフ、ハインツ・ベックさん。ローマ「ラ・ペルゴラ」では14年連続でミシュランガイド三ツ星を獲得、’14年には自身の名を冠した「ハインツ・ベック」を東京・丸の内にオープンさせ、たちまちミシュラン一ツ星を獲得した。他にも、ポルトガルやドバイなど世界各地にてレストランを展開して好評を博す。
そんな世界最高峰のシェフが、以前から地球の食について危機意識を高く持ち続けている。
「食材や食環境など地球の食問題は、年々大きく複雑になっていると感じます。今、世界中で食問題の話題がもちきりですが、これは近年に芽生えたことではなく、ずっと以前から始まっているものも多いのです」
しかも国や地域によって多種多様。「決して単純化できるものではない」と指摘する。
「世界のどこにいるかによって、食の問題の種類も見え方も違います。国によって問題の対応方法も異なります。先進国で食品ロスが問題とされる一方、食糧難に苦しんでいる国もいまだに多い。すでに何かしらの対策を実践して成果を上げている国もあれば、逆に悪化している国もあります」
その国に住んでみなければ、問題の本質はわからないし、解決は簡単でないと語る。
体によい食事とその恩恵を広める
問題は多様で複雑で根深い。それを理解しているからこそ、「私たち料理人だけの手に負えるものではなくなっています」と語る。
「一部の人たちだけが頑張れば何とかなるという問題ではもはやないのです。生産者、消費者、企業、それぞれの立場で真剣に向き合っていくことが大事なことだと思っています」
そう語る一方、日々、自身ができることは何か考え、研究し続けている。
「食問題解決のため、料理人が社会に対してできることは、“体によくておいしい食事”を提供すること。そして、その食がいかに人間に豊かな恩恵をもたらすかを伝えることだと信じて行動しています。私は約20年前から、“美食と健康”の両立をテーマに医師や大学教授とチームを組んで研究を続けていますが、その重要度は世界中で年々増していると感じます」
“美食と健康”の両立は、今や国や世代や立場を問わず、あらゆる人々に切に求められている。
「長寿が叶うようになった現代人にとって、“おいしい料理を食べながら、健康なまま老いること”は、何よりの願いです。人間の体は食べたもので造られています。健やかに老いていくには、高い栄養を保持したフレッシュな食材をおいしくいただくことが必要。その大切さを多くの人に伝えていきたいです」
同じく使命感をもって取り組み続けているのが、子供たちの“食育”だ。
「子供たちは地球の未来そのものですから。これまでは、企業とタッグを組んで恵まれない地域の子供たちに無料の食育講座を開催したり、無償で『子供たちのための正しい食事とレシピ』という本を作成して、学校などで無料配布したりもしています」
ハインツさんは、多くの人が正しい食べかたを実践して健康であることが、社会全体が健やかで明るい未来へと向かう最善策であると考えている。
「だから、私はこれからも同じ志を持ったチームとともに食について研究し続けたいし、そこで得たことは多くの人に惜しみなくシェアしていきたいと考えています」
食問題解決はみんなで語り続けてこそ拓ける
日本をはじめ、食の問題を重視する国や有識者は増えている。情報伝達手段の発達もあり、世界中であらゆる立場の人たちが食の情報を発信して、問題点は広くシェアされるようになった。そんな時流は心強くもあるが、ただ「まるでブームのように感じられてしまう側面もある」と警鐘を鳴らす。
「生産者も消費者もそしてシェフや企業も。いろんな立場で食の問題に向き合い語り合う。一過性のブームで終わらせて欲しくないと切に願います。簡単にたちうちできる問題ではないのですから」
そして、問題点が明らかになっても焦らず急がないことが大切だとも付け加える。
「今だけでなく、置かれた立場で問題の解決策を根気よく考え続け、地道に語り合い行動していくことにつきるのではないでしょうか。そうすれば、いつか見えてくるもの、拓けるものがあるはずです」
いわば、継続は力なり。
「目新しい解決策を探すだけではなく、まずは食の伝統や根本に目を向けることも等しく大切です。時代とともに食文化は革新的な変化を求められがちですが、伝統を重んじた上で創意工夫して生まれるものこそ素晴らしい革新であり本物の進化だと思います」
食は面白いから究めたくなる
シビアな視点と高い志をもって食の研究を深め、独創的でおいしい料理を生み出し続けているハインツさん。食への飽くなき情熱の源を問うと、「食は面白いから」と茶目っ気たっぷりの笑顔で答える。
「昔から好奇心や探究心が強いのですが、ある日テレビで、ソムリエの知識を持った人間と何の知識も持たない人のグループでは、ワインが体に与える影響はどのように違うのかを実験するドキュメンタリー番組をやっていました。両者の結果は全く異なり、豊富な知識をもってワインを飲んだ人たちの方が、心身により良い影響が現れたんです。そのとき、食にはおいしさだけでなく、たくさんの秘密や恩恵があるんだと気づけたのです」
「食の先には何があるのか。それを探したい!」というシンプルな探究心。食問題は難しいとつまづかず、目の前の食と楽しく向き合う。面白く思索することで拓がる明るい未来があるはずだ。
Heinz Beck
1963年ドイツ・フリードリヒスハーベン生まれ。ローマ「ラ・ペルゴラ」をはじめ、イタリア・ぺスカーラ「カフェ・レ・パイオット」など手がけるレストランは、ミシュランをはじめ、数多くのガイドから最高評価を獲得している。ガストロノミー界の頂点に立つシェフ。’14年・東京・丸の内『ハインツ・ベック』をオープン。こちらもミシュランの星を2年連続で獲得。
取材日/2019年4月