里山の恵みを無駄なく使い、おいしくいただく
新潟県南魚沼市にある「里山十帖」は、雑誌『自遊人』が「真に豊かな暮らし」をテーマに手掛けた宿だ。広大な自然を望む景観や、地の野菜をふんだんに使った自然派日本料理が人気を呼び、国内外から予約が殺到している。その料理長を務めるのが桑木野恵子さん。
桑木野さんは、早朝から山菜を採りに自ら山に入り、地元の生産者を訪ねてその日の料理に使う野菜を仕入れている。豊かな自然に囲まれた、生産者との距離が近い場所だからこそできることだ。
「山菜は、人間が手を加えなくても、毎年同じ場所に自生するんです。それを見ていると、自分の力の及ばない自然の力強さを感じます。里山からいただいた自然の恵みを、無駄なく全部使い切るのが自分の仕事だと思っています」
桑木野さんが食材を無駄にしないのは、料理人としての責任であると共に、おいしさを求めるうえで必然的なことなのだという。
「おいしいものを作ろうとしていると、捨てるところがありません。里芋や菊芋などの根菜類は皮においしさが凝縮されているんです。里芋の皮を焼き切って出汁に使ったり、米の稲穂も余すところなく使います。稲の藁は、納豆を包んで発酵させるのに欠かせません」
桑木野さんの料理は、雪国ならではの発酵文化を積極的に取り入れているのが特徴のひとつだ。
「発酵食作りを始めたばかりの頃は、ゆべしや納豆を和紙で包んで発酵させていました。ある時、和紙が手元になかったので、納豆を藁で包んでみたところ、それまでのものより格段にクオリティの高いものができたので驚きました」
特に、無農薬の藁を使うと味が格段に良くなり、納豆は2ヶ月以上発酵させても全く腐敗しない。時間が経つにつれ、チーズのような濃厚な味わいが出てくるという。
「自然の中にあるものを使うことでおいしさがアップするのは私にとって新しい発見でした。この土地に暮らし、発酵食作りに取り組むことで、雪国の冬の豊かさをやっと理解することができたと思います」
在来種や伝統的な調理法を活かし、里山の季節を伝えたい
在来種の野菜を中心に、その土地ならではの食材を使うことで「お客様に、新潟の土地や空気、季節を感じてもらいたい」と語る桑木野さん。地元の生産者のもとになるべく多く顔を出し、地域のコミュニティに溶け込みながら生産者とのつながりを築いている。
「生産者のお爺さんにお茶にお呼ばれしていると、お茶請けとして出していただいた豆が、市場には出回らない在来種のおいしい豆だったりするんです。その方は、おうちで食べるためだけに少量だけ育てられていたのですが、頼み込んで仕入れさせてもらうことになりました。『ほしいならお前が収穫してこい、値段も決めていいから!』と言われたりしましたね(笑)」
「お客様に食べていただいて、おいしいと言っていただくことで、生産者さんにも在来種の価値や誇りを感じてもらいたい」と桑木野さんは話す。
また、地域の高齢者からは、伝統的な保存食の作り方を学ぶことも多い。インターネットで何でも調べられる時代だが、その土地に住む人の経験からしか得られない知恵があるという。
「以前、三五八(さごはち。麹、塩、米を発酵させて作る漬物)の作り方を、インターネットで調べたことがあったんです。その通りにやってみたんですが、発酵が進み過ぎて泡を吹き、食べられなくなってしまいました。それを知り合いのお婆ちゃんに何気なく話したら『三五八は大寒に仕込まないと!』と大笑いされたんです。『それ以外の時季に仕込んだら泡を吹くのは当たり前。一年でもっとも寒い大寒に仕込むからこそ、一年通して使えるものができるんだ』と教えてもらいました」
しかし、桑木野さんは、地域の人々の伝承が途切れつつある現状に危機感を抱いてもいる。
「たとえば山菜は、私がノートにメモしているものだけで100種類以上あるのですが、地元の方でも代表的な数種類しか知らない方が増えています。50代、60代の方でも一番シンプルなお漬物も作れないという方が多いんです。作り手がいなければ、伝統や食文化はなくなってしまう。それを残すために、少しでも役に立てていればいいなと考えています」
食の多様性を受け入れ、自然に寄り添っていきたい
料理人になる前は、エステティシャンとしてアーユルヴェーダを学んだという異色の経歴を持つ桑木野さん。そこから学んだ柔軟性や多様性を受け入れる姿勢は、料理人となった今も活かされているという。
「料理をお客様に押し付けるのではなく、お客様一人ひとりの好みや考え方の違いに寄り添うようにしています。食材の由来や調理法を説明したり、コミュニケーションをとることで足りない部分を補わなければならないと思っています」
食の多様性を受け入れ、常に柔軟であることで、ヴィーガンのお客様など、全ての人に安心して料理を楽しんでもらいたいと話す。
「海外からのお客様は文化の違いが大きいため、積極的にコミュニケーションをとるようにしています。先日、フランスでシェフをされているお客様が『きゅうりは新鮮なものが一番おいしいのに、なぜ発酵食品にしてしまうのか?』とおっしゃっていました。発酵文化や、その独特な匂いが受け入れがたく感じられたそうなんです」
それでも桑木野さんが発酵食の文化的な背景や、食の歴史について丁寧に説明することで、少しずつ理解を得ることができたという。
「その方が店を構える土地は、年中野菜が採れる豊かな場所でした。しかし、ここは雪国なので、冬の間はいつでも新鮮な野菜が手に入るということはありません。なので、生き抜く知恵として保存と発酵の文化が生まれた。そんなふうに説明すると、彼らも理解してくれました」
海外からのゲストにとって、日本料理のイメージは京都の懐石料理なのだ、と続ける。
「だから、新潟の地の料理をお出しすると『これも日本料理なの?』と驚かれます。日本の地方には、多様な食文化があることをもっと知っていただければと思っています」
今後の目標について桑木野さんに聞いてみると、「目標は持たないようにしている」という答えが返ってきた。
「目標を持つことは大切ですが、それに縛られるべきではないと思っているんです。以前は高い目標を掲げては、トップレベルのスターシェフ達と自分を比較してしまって、落ち込んだりしていました。今は人と比べずに、過去の自分と比べるようにしています。プロの料理人として、昨日の自分より少しでも上達していたい。それを認めて進んでいくことが大切だと思うようになりました。流れのまま、自然にいるのが一番なのではないかと思っています」
桑木野 恵子
埼玉県出身。大学卒業後エステティシャンとなる。アロマテラピーを学ぶためにオーストラリアへ渡り、アーユルヴェーダを学ぶ。ネパールやインドを歴訪し、スパイスの知識を深める。帰国後、吉祥寺のヴィーガンレストランで料理長を務める。2014年の開業から里山十帖の料理人となり、2018年4月から里山十帖の料理長を務める。
取材日/2019年12月