日本の食を支える水産資源が危ない
ミシュランの三ツ星を12年連続で獲得、名実ともに日本のトップシェフである「カンテサンス」の岸田周三氏。「今でも毎朝、仕込みから若手とともにキッチンに立っています」と語る。岸田シェフは、日々の現場にいて食をめぐる問題に危機感を抱き始めた。
「畜産や農業にもいろいろな問題がありますが、急務だと感じるのは水産資源の枯渇問題です。僕が14年前にシェフとして独立してから、日本の水産資源のクオリティは明らかに落ちました。しかも、年々急速に悪くなっている。質だけでなく、小さくなっている。マグロやウナギの価格の高騰については巷で話題になりますが、それどころか質の良い魚は今やお金を出しても買えないことも増えています」
異変を感じていた岸田シェフは、その理由を考え始めた。
「あるとき、大先輩である寿司屋『すきやばし次郎』の小野次郎さんに『30年前の築地ではマグロも好きな部位を自由に買えた』というお話を伺う機会がありました。たった30年で、今は一体のマグロを細切れにしてみんなで何とか分けあっている。やはり枯渇は急速に進んでいる。僕の思い違いではなかったのだと確信しました」
枯渇の主な理由は、乱獲だ。
「日本の漁業技術は進化して、大きな網で囲いこむ巻き網漁で魚を大量に獲れるようになりました。ですが、それは産卵期の魚やまだ成長途中の小さな魚まで一網打尽に根こそぎ獲ってしまうということ。しかも、法規制も追いついていないため、早い者勝ちで獲り過ぎてしまう。その結果がこの現状です」
また、「日本は海に囲まれた島国で、他国よりも水産資源に恵まれてきたからこそ、状況の変化や危機に気づけないのではないか」と語る。
「今や日本のシェフは世界トップレベルとまで言われるようになりましたが、そのベースには第一次産業のすごさがあるんです。日本の食材のレベルは総じて高いですが、特に魚介類のレベルの高さは海外諸国の比ではありません。活け締めや1本釣り漁法など、魚の鮮度や質を保つための高い技術を持った第一次産業に支えられてきた。そして、日本は世界でも有数の“魚を食べる国”でもあります」
なのに事態の深刻さに気づいていない、と続ける。水産資源は今、急速に奪われつつあるのだ。
「考えてみてください。育てることができる畜産や農産物とは異なり、水産資源は天然の恵みです。人間の手だけでは増やすことはできません」
国を動かすためにまずは人々の声をまとめること
水産資源の枯渇は日本の食を根底から覆す大問題だ。「おいしい食をこれからも届けたい」という思いの強さから、岸田シェフは水産資源の問題解決に当事者として積極的に関わっている。
「水産問題について学び、水産資源の未来を考え行動するシェフ30人がフードジャーナリストとともに立ち上げた『シェフズ・フォー・ザ・ブルー』の活動に参加しています。問題解決のためには、やはり乱獲を防ぐ法整備が必須。1人のシェフが声をあげるだけでは、当然、国家を動かすことはできません。一丸となり、食の業界全体が抱えている問題として活動を大きくして伝えていかないと世の中の流れは変えられません」
シェフからシェフへ、さらには消費者へと問題意識の輪を広げ、大きな民意としてまとめあげて国に届けることを目標に活動している。
「先日、僕を含めたシェフなど食の業界を支える方々が30人ほど文化庁に呼ばれました。“食に対する聞き取り調査”が行われたのです。僕は水産問題についてお話しましたが、しっかりと聞いていただけて、政府も問題を認識してくださっているという実感を持ちました。糸口は掴みかけていますから、あとはいかに輪を広げるか、だと思っています」
「もちろん乱獲規制などの法整備を叶えるためには、まだまだ解決しなければならない問題は山積みですし、具体策もこれからです。だからと言って放置してはいけない。問題を認識したら、解決に向かって考え抜いて、いろんな意見を出し合い、話し合いを重ねること。そのプロセスで突破口は見えてくるはずです。
世界の海で同じような事態も起こっていますが、よき解決策や前例もありますから、希望を持っています」
食材をおいしく使い切ることができる「おまかせコース」
忙しい日々でも、水産問題に熱心に取り組んでいるのは、料理人として根底に“食材への深いリスペクト”があるからだという。
「料理人の基本だと思いますが、“食材は大切に使って、極限まで美味しさを引き出したい”という考えから。それはずっと変わりません。たとえば、おまかせコースで定番の『山羊乳のババロア』は、食材と調味料の主従関係を逆転させて、調味料を主役にするという自由な発想から生まれたシグニチャーメニューですが、極めて繊細でやさしい味わいの食材の魅力を最大限引き出したものです」
食材へのリスペクトは、「カンテサンス」が開店当初から展開している、「おまかせの1コース」にも表れている。
「おまかせコースにすれば、食材をピークの状態で使い切ることができるし、料理のクオリティを上げることができます」
岸田シェフは朝4時に起きて水産業者と電話で話し、その朝、獲れたもっとも質のいい魚を取り寄せる。朝採れたものが、その夜に供されるのだ。
「たとえば、タイのポワレをメニューに載せているとします。しかし、今日の市場には良いタイがない。隣には美味しそうなスズキがあるのに、メニューに載せているからタイを買う、なんてナンセンスですから。その点、おまかせコースは、今日手に入るベストな食材をベストな状態で使い切ることができます」
そのやり方は、水産資源を大切にすることにつながり、さらに、近年、世界中で深刻なフードロス問題にも対応できる。
「日本は先進国の中でも際立ってフードロスが多い国です。恵方巻きの廃棄も、『いつでもどこでも欲しい時に』という日本人のニーズに応えた結果、起こってしまったこと。受注生産であれば、起こらなかったことだと思います」
「消費者の目線だけでなく、食材優先で考えてみる。『おまかせコース』や『受注生産』という考え方を業界全体に広げていければ、フードロスの解決にもなるはずです」
豊かな食文化は日本の宝だから
日本の食を牽引してきた岸田シェフは、だからこそ、日本の食に人一倍、強い危機感を抱いている。しかし、決して悲観しているだけではない。
「日本の食文化に誇りを持っています。実際、日本の食は世界トップレベルですし、『日本にはおいしいものがある』と海外諸国に思われている。これはインバウンド需要を高めたいという政府の目論見とも合致しますし、食は日本の非常に大きなアドバンテージだと思っています」
「日本の食は第一次産業も、それを運ぶ第二次産業も、そして僕らシェフを含む第三次産業もレベルが高いです。だから、世界のトップレベルとして誇れる。 しかし、シェフは食材を料理に仕上げるのが仕事。前提として良い食材がなければ、良い料理は作れません。水産資源の保護をはじめ、農業や畜産などの大切な食材を浪費しないことが何より先決です」
トップに立ち続けるためには、「常に危機感と向上心を抱き、“本質”を大切にし続けること」だという。岸田シェフの料理人としての哲学は、日本の食の未来を拓く礎にもなる。
「食の流行は常に変化していくものですが、食の本質とは何であるかは常に忘れてはいけないと自分を戒めています。驚きや楽しさも大切ですけれど、僕は本物として残るものは、“おいしさ”だと思っています。そのためにいちばん必要なものが、自然から恵まれた食材なのではないでしょうか」
岸田 周三
三重県志摩観光ホテル「ラ・メール」、東京都渋谷区のレストラン「カーエム」を経て、’00年に渡仏。パリ16区の「アストランス」をはじめ、フランス各地の一ツ星から三ツ星までの数々のレストランで修業。帰国後の’06年5月、白金台に「カンテサンス」をオープン。のちに、品川に移転。’07年「ミシュランガイド東京 」で三ツ星を獲得後、12年連続で獲得し続けている。
取材日/2019年2月